COLUMN

どうなる !? 日本の登山道

山に登るうえで欠かせない登山道の存在。これらは、誰がどのようにして整備しているのでしょうか。
日本山岳遺産基金では、これまでの10年間で登山道整備に関わる団体へ助成をしてきました。
過去の日本山岳遺産認定地の現状と合わせて登山道の〝今〞をお伝えします。

(本記事は『山と溪谷』2019年7月号に掲載したものを再構成しました)

愛甲哲也=監修・写真、大関直樹・編集部=取材・文、宮野耕治=イラスト
一般社団法人大雪山・山守隊、自然保護財団鳥取支部=写真

 

登山道上で起きた事故は、誰の責任なのか?

山に出かけると石や木で整備された道もあれば、下草が生い茂り歩くのに苦労する登山道もある。同じ登山道でも、整備された道とそうではない道があるのは、どうしてだろうか? また、登山道は誰が整備しているのだろうか? 登山道整備の現状について、自然環境の保護と管理に詳しい北海道大学の愛甲哲也准教授にお話を伺った。

愛甲先生によると、日本の法律では登山道に関しての規定が非常に曖昧なので、明確な管理者が決まっていない場合が多いという。

「国立公園や国定公園に指定されているエリア内の登山道は、自然公園法による公園計画に基づいて、国や市町村などが事業執行者として整備することになっています。しかし、実際はすべての登山道で執行者が決められているわけではありません。たとえば、大雪山国立公園の場合、執行者が存在するのが約半分で、残りの半分は誰が整備するのか定められていないのです」

大雪山黒岳・雲ノ平で行なわれたイベントの様子

このように事業執行者が決まっていない登山道は、大雪山に限らず全国的にも半分くらいあるのではといわれている。そのような登山道では、行政に代わって山小屋の人やボランティアが善意で整備しているのが現状だ。もし、こういった登山道に何かしらの瑕疵があり、それが原因で登山中に事故が発生した場合、誰が責任を負うのか非常に難しい、と愛甲先生は指摘する。

「善意で整備をする民間の方の中には、責任を問われないかと懸念もあるようです。しかし、そもそも登山者の多くは、登山自体が多少なりとも危険を伴うことをわかっているでしょう。だから、もし事故が起きても、責任を追及されるケースは少ないと思います」

しかし、公的な管理者が事業執行しているエリアでは、管理責任の瑕疵が厳しく追求されることもある。2003(平成15)年に青森県の奥入瀬渓流で起きた落枝受傷事件では、散策中の観光客に突然落下してきたブナの枝が直撃し、負傷。重い後遺障害が残ったとして、遊歩道を管理する国と県を訴え、約1億9000万円の損害賠償が認められた。もちろん登山道や遊歩道で事故が発生した場合、すべてが管理者の責任になるわけではない。しかし、この事件以降、登山道の管理者責任問題が懸念され、それが行政による登山道整備が進まなくなった一因と考えられる。

Q. 奥入瀬落枝受傷事故とは?

2003年、十和田八幡平国立公園の奥入瀬渓流の遊歩道付近で、観光客が昼食をとろうとして立っていたところ、地上約10mから大きなブナの枯れ枝が直撃。観光客は重傷を負い、両下肢機能全廃の後遺症を負った。2009年、最高裁は、掲示等による警告等の処置を講じなかったことにつき通行の安全性が確保されなかったとして、国と青森県の遊歩道管理の瑕疵を認定。原告に1億9000万円あまりの損害賠償を支払うように命じた。

 

どんどん広がる登山道整備のギャップ

北アルプスの一部や富士山などは登山者が多く、地元の自治体や周辺の山小屋は登山道の維持に積極的である。しかし、登山者の少ない地方の山は、地域の山岳会やボランティアが一生懸命整備に努めているが、人材の高齢化や資金不足もあって、非常に厳しい状況となっている。

「人気山域とそうでない山域では、登山道整備の状況に大きな差ができつつあります。私たちは、山に行くと道標が整備され、道が刈り払いされているのが当たり前だと思っていますが、これからはそうではなくなるかもしれません」

長野県が2013(平成25)年度に実施した山岳環境の緊急点検によると、県内の登山道のうち北アルプス北部では登山道の損傷割合が3%、南部では5%だった。その一方で、中央アルプスでは22%、南アルプスでは32 %となっている。県がまとめた『山岳の環境保全及び適正利用の方針』によると、中・南アルプスの登山道は地形や地質的に崩れやすいこともあるが、北アルプスの登山道の損傷割合が低いのは、山小屋関係者などの維持補修の関与が高いことが推測されると記している。

このような山域による登山道整備のギャップは、日本全体における高齢化や経済効果に伴う資金調達の差によってさらに広がってゆく可能性が高い。

「だからこそ登山者の協力が必要なのです。これまでの登山者は、何もしなくても整備された登山道を歩くことができました。しかし、5年、10年後は、登山者の積極的な協力がないと荒廃してしまう道が増えてゆくでしょう」

実際、登山者に登山道整備を手伝ってもらうイベントを行ない、うまく機能しているところが全国で増えている。鳥取県の大山では、40年前にはハゲ山のようになった山頂の植生が、一木一石運動でほぼ以前と同じまで回復した。ほかにも大雪山や飯豊山では、登山道修復のイベント参加をSNS等で募集し、多くの登山者が集まっているという。

土壌を保護し、植生復元のためヤシネットを設置する

 

登山道を維持するために登山者ができること

登山道維持のために登山者ができることとして、登山道整備イベントなどに直接参加するほか、情報を提供することも大切だと愛甲先生は説明する。

「どこの登山道が壊れているか、どこの避難小屋にいつ、何人くらいの人が宿泊していたか、などの情報を管理主体である行政が把握しようとすると、管理人を置いたり調査活動をしなくてはいけません。しかし、限られた予算のなかではできないのが現状です。実際に現場を見て歩いている登山者が、何か気がついたことをカメラで撮って、管理している市町村や地域で活動している団体などに送ってくれると、すごく助かるわけです。もちろん、そういう情報を受け入れる側の体制を整えることも同時に行なわれるべきですが」

これからは登山者ひとりひとりが、現在の登山道整備の危機的な状況を理解し、自分に何ができるか真剣に考える必要がありそうだ。

「読者のみなさんも、登山道の現状について仲間同士で話し合っていただけたらと思います。まずは、一人でも多くの方に関心をもっていただくことが、日本の登山道の未来を切り開くのです」

Q.一木一石運動とは?

約40年前の鳥取県・大山では、登山者の増加に伴い登山道が侵食され、頂上付近の裸地化が進行。それを食い止めるために、30年前から、登山者に石や植物の苗を持って山頂に登ってもらい、その石で侵食溝を埋めたり苗を植えたりする「一木一石」運動を始めた。この運動を始めたころの頂上はハゲ山だったが、年間数千人の登山者による協力のおかげで、現在はほぼ以前と同じくらいの植生に復元しているという。

 

登山道侵食の進み方

 

出典:大雪山・山守隊ホームページより

 

愛甲哲也(あいこう・てつや)
北海道大学農学研究院准教授。自然公園、都市公園の管理のあり方について研究を行ない、特に山岳性自然公園における登山道管理、山岳地におけるし尿対策をテーマとする。一般社団法人大雪山・山守隊理事、山のトイレを考える会事務局運営委員などを務める。

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ここからは、これまでの日本山岳遺産認定地で登山道整備を行なった山域の現状を紹介する。

日本山岳遺産2018年度認定
北海道|大雪山 黒岳|一般社団法人 大雪山・山守隊 ▷ 認定地詳細へ

日本最大の面積を誇る大雪山国立公園。その北東に位置する黒岳(1984m)は、頂上付近まで豊かな緑が残る人気の山域だ。そこで侵食の進む登山道や荒廃した生態系に対し、自然との同化に配慮する「近自然工法」を取り入れた登山道整備を実践しているのが、「大雪山・山守隊」である。

「山守隊は、一般登山者の『民』、行政の『官』、研究者の『学』を橋渡しし、それぞれの垣根を越えて、大雪山の登山道を維持・管理していくことをめざしています。具体的には、『たまには山へ恩返し』と銘打って、年に4〜5回ほど登山道整備の官民協働イベントを実施しており、多いときは約70人の一般登山者に参加していただいています。そして、実際に植物が復元したり、登山道の侵食がなくなったことを記録して伝えていくことが、これからの山岳管理の原動力になると思っています」

体力的につらい資材や土壌の運搬作業も、イベント化するとみんなで楽しむことができる 大雪山・山守隊=写真

 

日本山岳遺産2018年度認定
山形県 新潟県 福島県|飯豊山|特定非営利活動法人 飯豊朝日を愛する会 ▷ 認定地詳細へ

夏でも豊富に残る雪渓と、高山植物の宝庫として知られる飯豊山(2105m)。世界でも有数の積雪量を誇る環境は、美しい景観をもたらす半面、登山道や植生の荒廃が進む一因ともなっている。そんな飯豊山で、約10年前から公募で登山道の保全作業を続けているのが、「飯豊朝日を愛する会」だ。副理事長の井上邦彦さんは語る。

「作業には毎年、全国から50人前後の方が集まってくれます。そして一度でも参加してくれた人は、みなさん『オレの飯豊』とか『私の山』と口にするようになるのです。きっと保全作業をすることで、飯豊山に対する特別な思いが生まれるのだと思います。そして何よりうれしいのは、みなさんが本当に喜んで参加してくれることです。山を歩いて花を愛でるのと同じで、登山道整備も山の楽しみ方の一つとして実感していただいているのだと思います」

縦走路の核心部にあたる天狗ノ庭にて、侵食や裸地化を食い止めるためにヤシネットを敷いている様子 飯豊朝日を愛する会=写真

 

日本山岳遺産2014年度認定
長野県|鍬ノ峰|長野県大町岳陽高等学校山岳部 ▷ 認定地詳細へ

鋭いピラミッド型の山容と双耳峰が特徴的な鍬ノ峰(1623m)。その北面に大町岳陽高校が新ルートを開いたのは18年前のこと。学校創立百周年記念事業の一つとして取り組んだのがきっかけだった。山岳部の顧問、大西浩先生は次のように言う。

「ルート開設以来、お世話になっている山に恩返しをしたいという気持ちで山岳部部員約20人が年に2回程度の登山道整備を行なっています。入学したての1年生は、言われたからやるという生徒が多いのですが、登山者から感謝の言葉をいただくうちに変わってきます。人の役に立っていることを理解すると、先輩が守ってきたこの道を自分たちが後輩に引き継がなくてはいけないという責任感が生まれてくるのです。そういう意味で登山道整備は、生徒の人間的な成長にプラスの影響を与えていることを実感しています」

山岳遺産基金の助成金は、ナタガマや作業用手袋など登山道整備に必要な機材購入費として使った 大町岳陽高等学校山岳部=写真

 

日本山岳遺産2014年度認定
長野県|徳本峠|古道・徳本峠道を守る人々 ▷ 認定地詳細へ

徳本峠道は、かつて上高地に入るための主要ルートとして利用され、長野県安曇の島々から明神までをつなぐ約20kmの歴史ある峠道である。災害によって一時は廃道寸前だったこのルートを「古道・徳本峠道を守る人々」が8年前から整備している。会の代表、高山良則さんは最年長の74歳。

「徳本峠の登山道は沢に面しているので、大雨や雪崩によって頻繁に崩れます。そのたびに路肩の補修や倒木の撤去、橋の架け直しなどをしています。また、毎年2回は行政の方も加わって数十人規模の登山道整備をします。最近は、継続的な活動のおかげで、大きな整備が必要な状況は減ってきていますが、集中的な大雨もあるので気は抜けません。メンバーの会員数は4人で、みな年齢層が高いのも心配です。新しい仲間を増やして、この先もできるかぎり登山道整備を続けていきたいです」

春の橋架けは特に重要な整備の一つ。雪崩によって崩壊しないように前年の秋に外した橋を、春に架け直す 古道・徳本峠を守る人々=写真

 

日本山岳遺産2015年度認定
長野県|南木曽岳|南木曽山士会 ▷ 認定地詳細へ

木曽三山のひとつ南木曽岳(1679m)は、低山ながら山頂からは大展望が広がり登山者からの人気も高い。そこで30数年前から一人で登山道整備に取り組んできたのが、南木曽山士会会長の石川文雄さんだ。

「私にとって南木曽岳はふるさとの山なので、大好きなんです。だから一人で登山道整備を始めましたが、いちばん大変だったのは、ハシゴなどの材料の調達です。南木曽岳は長野県が自然環境保全地域に指定しているので、国立公園や国定公園同様に山中の木を切ったりできません。そこで、土地を借りてヒノキなどの苗を植えるところから始め、成長を待って木材に加工。最後はボランティアやヘリコプター会社の力を借りて荷揚げしました。苦労はありましたが、登山者から『すばらしい山ですね!』と声をかけられると『また、がんばろう!』と思います」

南木曽岳の登山道は壊れることが多い。石川さんが補修作業に費やす日数は、年間40日を超えることもある 南木曽山士会=写真

 

日本山岳遺産2013年度認定
三重県|大台ヶ原大杉谷|公益社団法人 大杉谷登山センター ▷ 認定地詳細へ

富山の黒部峡谷、新潟の清津峡とともに三大峡谷の一つに数えられる大杉谷。その美しさは、日本最多レベルの雨がもたらすものだが、同時に登山道にも大きなダメージを与えることが多い。大杉谷登山センターの職員である蕨野祐樹さんは、5年前から一人で登山道の補修を続けてきたが、現在、整備存続の岐路に立っているという。

「山岳ガイドやボランティアの方に手伝っていただきながら、壊れた登山道を修繕しているのですが、予算的にも人員的にも厳しい状況です。昨年のように毎週台風が来ると、整備さえも追いつかない状況です。そこで、登山者に安全に大杉谷を楽しんでいただくために、今年10月から入山協力金(1シーズン1000円)を試行実施することを検討しています。いただいたお金は、登山道の整備や自然環境の保護などに生かしていけたらと思っています」

大杉谷は、3日に1日は雨が降るといわれるほど降水量が多いので、登山道の侵食も激しい 大杉谷登山センター=写真

 

日本山岳遺産2016年度認定
福岡県|嘉穂アルプス|嘉穂三山愛会 ▷ 認定地詳細へ

福岡県の嘉穗アルプスでは、約15年前に地元の有志20人ほどが嘉穂三山愛会を結成。元日の初日の出登山、5月に嘉穂アルプス山開きなどを主催するとともに登山道整備に取り組んでいる。

「嘉穂アルプスは、英彦山などに比べて知名度はないかもしれませんが、国の特別天然記念物に指定されているツゲの原始林やオオキツネノカミソリの群落をはじめとして、貴重な自然がたくさん残っている山域です。そこで、登山道を整備したら、山に人が集まって町の活性化につながるのではと思い活動を始めました。最近は、九州地方を襲う水害が多く、せっかく整備した登山道が流されてしまうこともあるのですが、めげずにがんばっていきたいと思います。昨年は山岳遺産基金の助成を受けて馬見山(978m)に避難小屋もでき、ますます登りやすくなりました。ぜひ足を運んでください」

補修作業をする嘉穂三山愛会のみなさん。初心者からベテランまで楽しめる登山環境整備だという 嘉穂三山愛会=写真

 

日本山岳遺産2011年度認定
熊本県|九州中央山地五家荘エリア|泉・五家荘登山道整備プロジェクト ▷ 認定地詳細へ

九州中央山地に位置する五家荘エリアは、平家落人の伝説が伝わる歴史ある山域。「泉・五家荘登山道整備プロジェクト」は、2008年から地元の山仲間が集まり登山道整備を開始。全40kmの縦走路をつなげることができた。

「もともとは地域活性化の取り組みとして、雁俣山(1315m)から茶臼山(1446m)までの縦走路を作ったら登山者が訪れてくれるのではと思い、始めたものです。最初は、クマザサに覆われた道ばかりで苦労の連続でしたが、日本山岳遺産基金の助成を受けて道標も設置することができ、立派な登山道を整備することができました。今でも、SNSで登山道整備を呼びかけると、毎年多くのボランティアが参加してくれて助かっています。五家荘エリアの山麓にはすてきな旅館や民宿もありますので、県外の方にももっとたくさん来ていただきたいです」

登山道整備は年間20日以上行なっているほか、自然保護活動などにも携わる 泉・五家荘登山道整備プロジェクト=写真

 

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